平成29年7月22日(土)
新造船が長良川に浮かび、そしてまわった


「進む」「いく」「滑る」あるいは「走る」など船の航行を表す言葉はいくつかあって、どれもよくその様を捉えています。全長13m、幅1mほどのシャープな鵜飼舟が長良川をゆく姿はまさに「滑る」という表現が似つかわしい、機能的な美を備えているといえるでしょう。

では、その舟が「まわる」とは一体どういうことでしょうか?

今回はベテラン船大工とひとりのアメリカ人が一艘の鵜飼舟を造り上げる「鵜飼舟プロジェクト」の完成報告会と、新造船の進水式を取材しました。

「鵜飼舟プロジェクト」スタート!

長良川の川舟の寿命は約10年から15年ほど。
昔ながらの木造船の技術を伝える船大工が舟の補修・新築をおこない、川漁や鵜飼の伝統を支えています。

しかし、かつて長良川流域に存在した多くの川漁師たちは時代を経るごとに姿を消し需要の減少とともに、船大工の技術を継承する人はいまでは2名を残すのみとなりました。

そんななか、ひとりのアメリカ人が和船技術の継承を目的として長良川の鵜飼舟造りに挑みました。

彼の名前はダグラス・ブルックス。

ダグラス・ブルックスさん(56):左から2番目

本国アメリカで海洋学を修め、博物館で専属の船大工を務めた後1990年に初来日。
1996年に佐渡の「たらい舟」の造船技術を習得して以来、日本各地で合計6名の船大工のもと和船技術を学び多くの船を造り上げてきました。

ダグラスさんと長良川の和船との出会いは、今回のプロジェクトのもうひとりの主人公である美濃市の船大工「那須清一」さんのもとを訪れた十数年前にさかのぼります。

那須さんは現在86歳。70年近くにわたり長良川で船大工の仕事に携わってきました。

つい先日86歳の誕生日を迎えられたばかりの那須清一さん。飄々としたたたずまいに加え、確かな技術と経験に支えられた緻密かつ力強い言葉が印象的でした。

現役の鵜飼舟の造り手として活躍していた当時は「十分に技術を教えられる時間がない」と職人の矜持でもってダグラスさんの弟子入り志願を断っていたそう。

今回のプロジェクトのコーディネーターでもあり、3年前に和船技術の継承と地域連携のために「和船ネットワーク」を立ち上げた森林文化アカデミーの久津輪雅准教授。そんな久津輪さんの尽力によりダグラスさんの積年の鵜飼舟造りへの思いが実を結んだのが今年のこと。1月末に走り始めたプロジェクトが、5月21日に本格的にスタートしました。

当初の那須さんの見立てによれば鵜飼舟完成までの期間は「3ヶ月」。
しかしダグラスさんは7月末のアメリカ行きの航空券を予約してしまっていたそうです!

果たして舟は完成するのか!?
その過程には師弟関係を超えた、数々のドラマが秘められていました。

舟づくり

「森林文化アカデミー」のデッキ上に組み上げられた仮設の舟小屋が彼らの作業場です。

鵜飼舟の素材は那須さん所有の「コウヤマキ」。
広く和船建造に用いられる杉の木に比べ密度が高く硬質なため、薄い材で造られる鵜飼舟には適しているそう。
1000本近く使われる専用の釘は各務原の鍛冶屋「かじ清」さんの手によるものです。(お値段なんと1本300円!!)

厚さ約3センチという薄い側板。継ぎ目に打ち込まれる釘の太さは1センチ以上!
板からはみ出さないように、「もじ」というキリ状の道具で目印の穴をあける徹底ぶり。
慎重かつ丁寧に作業が進められていきます。

ちなみに全盛期の那須さんで1日に50本。今回、ダグラスさんの協力者であるマーク・バウアーさんがひたすら釘を打ち続けてようやく1日30本ということなので、いかに時間のかかる作業であったかがわかりますね…

「アメリカは働き方改革の先進国だから…」という那須さんの当初の危惧を覆すかのように、ダグラスさんとその仲間たちは朝の5時半から夕方は6時まで気を緩めることなく舟をつくりあげていきました。

釘打ちも終わり、完成が間近に迫った舟を巡りひとつの議論が持ち上がります。
それは「舟底にFRP加工をするか、否か」。

「ダグラスさんたちの仕事ぶりを貶めるわけではないが鵜飼舟造りの技術は一朝一夕では身につかない」「「那須清一」が関わった仕事に少しの瑕疵もあってはならない」と、今回のプロジェクトに限りFRP加工を提言する那須さんと、「木造船ならではの機能性やしなやかさを大事にするべき」という川漁師の方の意見がぶつかりあった結果、底板と側板の間にのみ、FRPのテープを貼り付けるということで落着しました。

そんな過程を経て、鵜飼舟が完成したのが7月15日!
作業開始から実に「41日」。那須さんの当初の見立てだけでなく、予定していた工期を大幅に繰り上げての作業完了でした。

プロジェクトは続く…

「鵜飼舟プロジェクト」は舟の完成だけでは完結しません。
次に登壇したのは長良川最年少の川漁師、平工顕太郎さん

平工顕太郎さん(33):左端 「ゆいのふね」代表。岐阜城下、金華山の麓にたたえる長良川を主な漁場とし鮎漁を営む。国指定重要無形民俗文化財「長良川鵜飼」では宮内庁式部職・鵜匠代表の鵜舟船頭を務め、現在は漁舟『結の丸』船長として川漁師の傍ら『漁舟ツアー』を運営する。

実は平工さんがこの舟の新オーナー。
プロジェクト開始当初、行き場の未確定だったこの「文化財級」の舟を博物館などではなく「舟が舟として使われる場所」で活用していきたいという思いから買い取ることに決めたそうです。

印象的だったのは平工さんの口からたびたび語られた「保全」という言葉。
生業である漁だけでなく、エコツアーや漁業体験など様々な方に様々な形で触れてもらうことで
「川文化」や「和船技術」を本当の意味で伝えていきたい、と強い思いをにじませました。

進水、そして…

満員の聴衆の中、一時間半にわたって続いた完成報告会に続き今度は舞台を長良川の川原に移し、進水式が執り行われました。

まだ使い込まれていない無垢の木肌はまぶしく、香りも爽やか。


ダグラスさんら関係者の手によりお清めの塩とお神酒が注がれ、いよいよ着水。

山の緑、空の青、長良川の澄んだ青と新造船の美しい肌とのコントラストは感動的です!
平工さんをはじめ、皆さんの手で舟が川の本流まで進んだところでいよいよ今回のクライマックス。
船上の四人が舟体を大きく二度三度と揺すり、見事!舟が裏返しになりました。

転覆?ではありません。「舟かぶせ」とよばれるこの儀式。明確な起源や目的は不明で、一度沈めておくことでのちの水難除けを祈願したとも、舟全体を水に馴染ませるために行われたともいわれています。

続けて水の中で勢いよく3度船体を回して舟かぶせの終了。

なみなみと水のたまった舟を岸に寄せ、バケツで水をかきだしていくダグラスさんたちの姿は達成感と喜びに満ちているように見えました。

着工から2か月にわたって展開された「鵜飼舟プロジェクト」
前述の通り「舟の完成」だけではその軌跡は終わりません。
新しく造られたこの舟が、どのように活用され、どのように人々の記憶に刻まれていくのか。

平工オーナーの「舟の寿命は10年。僕の新しい挑戦が、この舟とともにこれから10年続く」という言葉に長良川の川文化の担い手として「生きた技術を伝えること」の重みと、そこに関わってきた人々の並々ならぬ思いを感じました。

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