「野生の起業家」インタビュー 関①
小瀬鵜飼の伝統を今もなお守り続ける鵜匠の名家
小瀬鵜飼鵜匠/岐阜県関市
足立 陽一郎(あだち よういちろう) さん
重要無形民俗文化財にも指定されている、長良川の鵜飼漁(うかいりょう)の技術。鵜飼は、鵜匠(うしょう)と呼ばれる人々が漁の得意な鵜という水鳥を巧みに操り、主に鮎などの川魚を捕らえる伝統技術です。鵜匠の中でも、皇室に鮎を献上する特別な鵜匠は「宮内庁式部職鵜匠」と呼ばれ、岐阜市長良に6名、関市小瀬に3名と、2か所あわせて全国で9名しかいない特別な存在です。
そのうちの一人である足立陽一郎さんは、室町時代から代々続く小瀬鵜飼の名家に生まれました。鵜匠は世襲制のため、足立さんも次代の小瀬鵜飼の継承者として育ちました。そのため、中学生のうちからすでに船頭として、大人たちに交ざって川に出ていました。時には大人たちから叱られることや、師匠でもある父親と意見が衝突することもあったといいます。
ちなみに、鵜飼に使われるのは、茨城県に生息する野生の海鵜です。鵜は「鳥屋籠(とやかご)」という寝床となる籠に、2羽ペアで入っています。このペアは「語らい(かたらい)」といい、一生涯ずっと一緒に過ごします。朝になったら鵜匠が、1羽1羽とスキンシップを取りながら様子を確認し、日中は外の庭で水浴びなど自由に過ごさせ、夜になったら鳥屋籠に戻す。また翌朝に鵜の様子を見て、夜になったら戻すーー。鵜飼で一番の肝となる鵜の管理こそ、鵜匠の重要な仕事の一つであるため、足立さんは年間365日欠かさず、このルーティンを行っています。
「時代は変われど、代々続く鵜匠の歴史は変わらない」。
名家の伝統を受け継ぐことには、責任やプライドがつきまとうもの。また、まわりをとりまく環境や時代の変化も激しいため、日々不安もつきまといます。
将来に対するとめどない不安が、足立さんを襲った時期もありました。
しかしある時足立さんは、長年受け継がれてきた伝統に対する不安を解消する明確な方法は、おそらく存在しないと気付きました。そう考えたら、一人だけで悩んでいても仕方ないのではないかという考えに至り、とたんに気持ちが軽くなったといいます。
こうして足立さんは、伝統や未来に対する重い不安への対処を「自分一人だけの問題ではない」という風に思考を転換したことで、一人だけで抱え込むのではなく、色々な人々を巻き込みながら鵜飼のことを知ってもらおうと行動を始めました。
例えば、鵜と共に暮らす我が家を開放して説明することで、鵜と鵜匠の暮らしを共有することがあります。これは観光客だけに限らず、地域の方を含め、鵜飼に興味を持つ人であれば誰でも受け入れています。むしろ、ごく一般人を自ら積極的に招き入れていくこともあるという足立さん。「宮内庁式部職鵜匠」ということもあり、どうしても敷居が高いと感じられてしまう小瀬鵜飼がこれほど身近な存在になることは、これまでには考えられないことでした。
そんな足立さんの行動には、受け継いできた伝統を守り抜くことを、一人で必要以上に重く考えすぎるのではなく、むしろ周りと共有し、みんなで一緒に伝統を守っていくという前向きな意識が感じられます。
こうして足立さんは日々前向きに伝統と向き合い、共に生きていくことで、小瀬鵜飼の伝統を守り続けているのです。
学習者の皆さんへ
すでに成人する頃には父親の鵜飼を継ぎ、鵜匠となった足立さん。
鵜飼の方法については、そのやり方を教わったわけではなく、すべて父親ら先達の背中をみて自ら学んできました。
このことも踏まえ、足立さんは、何事も誰かから教えてもらうことを待つのではなく、「自分でものにしていく」意識が大切だと語ります。
なにかを成し遂げようとするとき、周りの人の言い分や、自分の置かれた境遇を言い訳に、言動を制限してしまうことはしばしば起こります。そうではなく、足立さんがこれまで代々受け継がれてきた伝統を、自ら体得していったように、自ら習得していく。それくらいの気概をもって挑むことが、主体性が求められるこれからの時代では大切な姿勢だと言えるでしょう。
〈 関連リンク集 〉
■小瀬鵜飼 公式サイト
https://www.hamonoyasan.com/
■「小瀬鵜飼一千有余年の歴史」
小瀬鵜飼 公式サイト
https://www.ozeukai.net/%E5%B0%8F%E7%80%AC%E9%B5%9C%E9%A3%BC%E3%81%A8%E3%81%AF/